2

広島豪雨災害

八木砂防堰堤図化

2014年8月19日夜から20日明け方にかけて、広島市安佐南区八木・緑井・山本および安佐北区可部を中心としたごく狭い範囲に集中豪雨が発生した[16]。「数百年に1回程度より遥かに少ない確率」で発生した記録的集中豪雨であった[17]。線状降水帯が発生し、3時間降水量は200ミリを超え、同時多発的に大規模な土石流が発生した[16]。広島市災害対策本部のまとめでは、土砂災害166ヶ所、うち土石流107ヶ所・がけ崩れ59ヶ所、発生している[16]。

1.記録的集中豪雨が、2.午前1時半から午前4時の真っ暗で対応の難しい時間帯に、3.新興住宅地など人家が密集する住宅地後背の山々を襲った、の3つの悪条件が重なったことで甚大な被害を出した「都市型土砂災害」[18][19]。この土砂災害はそれ以前のものと一線を画し、単に砂防だけの問題でなく都市計画・地域計画・防災計画の様々な問題点が浮かび上がった[20]。

行方不明者の捜索は約1か月間におよび[16]、災害における直接死は74人(最終報[21][22])、これに2016年現在で災害関連死3人が加わり、死者77人となった[5]。この災害死の数は、国土交通省の発表によると土砂災害による人的被害としては過去30年間の日本で最多であり、1983年7月に島根県西部で87人が死亡・行方不明となった豪雨(昭和58年7月豪雨)による土砂災害以来の大きな人的被害となった[16]。広島市に限れば、1999年6.29豪雨災害における土砂災害被害を上回った[16]。近年まれに見る死者数の多さから、社会問題として大きく扱われた[23]。住宅被害、電気・水道・ガスなどに加えて交通網が集散する場所であったことからライフライン・インフラ全てにおいて大きな被害を受けた[22]。避難勧告の対象範囲は大きく、避難所へはピーク時で904世帯・2,354人が避難したものの、安全が確認されるまで長期にわたり避難所での生活を余儀なくされた[22]。

ただ不幸中の幸いであったのが河川(洪水)災害は限定的であったことである[24]。災害が起きた付近は古くから河川災害が頻発した地[25][26]であったが、20日4時20分頃可部三丁目付近で根谷川が氾濫した以外は大きく被災しなかった[16][24]。

行政対応の不手際から、1999年災害の教訓が生かせなかったと指摘された。特に、広島市からの避難勧告発令の遅さが批難された。土砂災害防止法の問題点が浮き彫りとなり、改正が行われた。

東日本大震災を機に作られた災害派遣精神医療チーム(DPAT)の初出動事例。